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“われもこう”の想い その40「母の日に向けて」

われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい

令和4年5月6日 その40「母の日に向けて」

T君は、2年前から、発達支援部で私が担当で個別指導をしています。
今年、中学校に入学しましたが、指導を始めた頃は、小学校5年生でした。知的には3度の判定で、軽度難聴もありますが、活発で運動神経は抜群です。心臓疾患があるので、コロナ禍で直接指導により、もし罹患したらと心配でリモート指導を断続的に行なっていましたが、軽度の難聴もあるため、リモート指導も良く聞こえないと本人は、直接指導の方を望むことが多かったです。

指導を始めた2年前は、やはり文章での的確な表現は難しく、イ段の音の聞き分けも難しく、最終的には文字で書いて伝えなければならないことも多かったです。でも、毎週その日学校であったことを日記に書くことを通して、自分の経験を人に伝わる文章に書けるようになってきました。最初は、「1時間目体育でした」だけの文章が、体育を、どこで、何をやったのか?まで書けるようになりました。今では、国語ノートに、その日のことと、自分で着ているものなどを30分で6ページほども書くようになりました。

最初の頃は、身につけるものは全て「着る」と言う表現でした。上半身は、「着る」、下半身は「はく」、顔や腕は「つける」と図に描いて示して、それをみながら慣用的な表現を身につけていきました。洋服の模様の表現も、縞模様、チェック、花柄など、私の洋服のことも書いてもらいながら覚えていってもらいました。最近は、ハンカチのことも詳しく書くようになりました。そんな4月のある日、母の日が近づいたので、さをり織りの残布のカーネーションを見せて、お母さんにお小遣いで買ってあげたら?と提案したら、彼は「作りたい!」と言ったのです!!難しいかなと思ったのですが、手伝いながら作ればいいかと思い、次の週に材料を用意して待ちました。

「最初にお母さんに手紙を書こう!いつも、お母さんに何してもらってる?どんな時が嬉しい?」と聞きながらお母さんへの手紙を書きました。

これを書き終わると「お父さんにも書きたい」と言ったのです。お父さんは、6月の父の日に書きましょうと言いましたが、まだ、「母の日」「父の日」など、世間的な行事の日として認識が薄かったかなと思うと同時に、両親に可愛がられて育っている❣️と感動しました。是非、黄色いバラを作ってもらおうと思いました。その後、支援員さんに教えてもらいながら、お母さんへカーネーションを作りました。

  

工程も多く、少し難しい所もありましたが、意外に器用で、一輪のカーネーションが出来上がりました。

最後に銀紙で包んでリボンで結ぶ時、蝶々結びができず、固結びをしてしまいました。来年は、蝶々結びができるようにしようと、私の目標ができました。

このカーネーションと手紙を読んだお母さんの目元にうっすら涙が‥。私もつられそうになりながら、「来年、再来年とこの手紙とカーネーションが増えて行くのが楽しみですね。成長の跡がきっと見えますよ」とお話ししました。私もお母さんと共に彼の成長を見守ることができる幸せを感じながら、是非、彼が誰かのために役に立つ人に、われもこうのようになる日を見たいと思いました。

私自身、先がどうなるか考えなければならない年齢にさしかかっています。彼が20歳になる時、私は82歳です。私自身の明日からも真剣勝負です。

 

吉田 由紀子

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