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“われもこう”の想い その84「私たちにもできること」

われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい

令和6年2月22日 その84「私たちにもできること」

2月9日(金)NHKのニュースで、能登半島地震の被災地への不要な車の寄付について、都内で初の受付が始まったということで、あかねの会が取材を受け、取り上げられました。

東日本大震災をきっかけに設立された「日本カーシェアリング協会」は災害で車が被害を受けた人に車を無料で貸し出す支援活動を行っていて今回の能登半島地震でも活動を始めています。
燃料費や車両の維持費など、活動資金を確保するため、廃車を予定している車の寄付を呼びかけていて、9日都内では初めてとなる寄付の受け付けが行われました。
寄付されたのは練馬区の社会福祉法人が施設の利用者の送迎に使っていた乗用車で、部品や鉄などをお金に換える予定です。
寄付をした社会福祉法人「あかねの会」の吉田直己理事長は「ちょうど新しい車が来ることになった時に、取り組みを知りました。災害はいつどこで起きるかわからず、ひと事ではありません。少しでも力になれたらと思います」

NHK NEWS 「能登半島地震 “不要な車の寄付を” 都内で初の受け付け」より引用 能登半島地震 “不要な車の寄付を”都内で初の受け付け|NHK 首都圏のニュース

大震災の被害を考えたら、今回の寄付なんて本当に、ほんの一握りの塩にもならないくらいでしょう。
でも、自分たちにできることをしていく大切さは、大きく感じています。
あかねの会は、知的障害の人たちが親亡きあとも住み慣れた地域で安心して暮らしていけるように、グループホームや日中活動の場をまだまだ、作っていかなければならず、資金面では、いつもハラハラとし、過去には職員のボーナスが払えないこともありました。
どちらかと言うと、あかねの会は社会の中で「助ける側」ではなく、「助けられる側」にいると思われても仕方がない立ち位置にいると思います。
でも、庇護を受けている人たちが、常に庇護を受けているだけでいいのでしょうか?
自分たちができることで、誰かの役に立つことができるということを、利用者の皆さんに知ってほしいと思って、支援に取り組んでいます。
彼らも、支援する私たちも、「われもこう」のように、自分もこの社会の一員として、自分のできることで、誰かのために、何かをして生きていく〜そんなことを願いながら日々、支援にあたっています。
障がいのために、できないこともたくさんあります。でも、何もできないのではありません。気の長い努力でできるようになることも、たくさんあります。
自分のできることを社会の一隅で、ささやかな活動であったとしても、この社会を支える小さなちいさな存在として生きている〜障がいがないと言われている私たちも同じだと思います。

去年、私の担当する第六みずき寮で、テレビで毎日報道されていたガザ地区やイスラエル、ウクライナなどの子供たちがケガをして泣いている姿を見て、「国境なき医師団」のことを話したら、「是非、私たちも募金をしたい」と利用者が言い始めました。

第六みずき寮での利用者は会社勤務が2名、作業所に通っている人が2名です。会社に勤務している人たちも、最低賃金12万円ほどと年金が6万円です。収入によっては家賃補助があったりで、何とか、寮費や昼食代を払い、週末には、家族のもとに帰り、親御さんが管理しているお金から、1週間分のこずかいをもらって、つつましやかに暮らしています。
作業所に通所している人たちが貰える1ヶ月の工賃は一万円前後です。都からの家賃補助や年金だけでは足らず、親御さんの援助で暮らしています。
その彼らが、自分の小遣いの範囲内ですが、毎晩、こずかい帳をつけながら、半端な6円だとか、12円だとかを寄付すると言い始めたのです。
「このお金で、ガザの子供達のケガが治ったら‥」と言いながら。
チリも積もればで、2ヶ月後には3千円ほどになりました。
それまで、人から何かしてもらっても「ありがとう」と言えなかったり、相手のことをすぐ責めてしまったりしていた彼らが、少〜しずつですが、相手の気持ちも考える場面が増えて来たと実感しています。
そして、能登半島地震が起きて、自分たちから、そちらにも募金しようと言い始めました。
今回の法人の車の寄付のニュースを紹介すると、彼らにとっても、誇らしい思いで受け止めていることがわかりました。
本当に、この日本列島では、いつ、誰が、どこで地震や火山の噴火などの被害にあうかもしれません。
一人ひとりの力は小さいですが、ささやかでも、自分ができることをして、お互いに支え合いながら、生きていけるといいなと感じました。

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