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“われもこう”の想い その5「障害だからできないのではない」

われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい

令和2年8月5日 その5「障害だからできないのではない」

私が中学校の特別支援学級の教員をしていた頃のことです。運動会のたびに、全校生徒が並んで最初にラジオ体操をします。一番端に並んでいる特別支援学級の彼らは、ラジオ体操を教えても、腕が曲がっていたり、きちんと前屈、後屈が出来ず、だらだらとしたラジオ体操でした。特別支援学級の子供達がきちんと出来なくても、当たり前と思われていて他の通常学級の先生が注意することもありません。

そこで、私はラジオ体操の1の運動を全員がきちんとできるまで先に進まないと決めて、一人一人手を添えて教えていきました。20人近くの生徒がしっかり1の運動ができるようになるまで、毎朝1時間かけて3ヶ月かかりました。一つのことをじっくり取り組み、そこまで要求されているとわかると、彼らもがんばってくれ、その後は3ヶ月で全部の運動がほぼきちんとできるようになり、10月の運動会では、通常学級の体育の先生が、特別支援学級のようにきちんとやれと通常学級の生徒に注意するという光景に変わりました。

あきらめず、スモールステップで丁寧に教え続ければ、知的障害と言われている人たちも、ある程度のことはできるようになる!とラジオ体操の指導を通して私は確信しました。「何回教えてもできない、障害だからできない!」という声を聞くたびに、本気で教えてないだけ!どうやったらできるようになるか?工夫が足りないだけ!と思って、親御さんや他の先生たちに「1万回教えましたか?」と聞くことにしています。勿論、そこまでやっている人はいません。三千回でもある程度はできるようになるはずなので聞くと、百回もやっていない人が殆どです。

彼らの障害のせいでいろいろなことが覚えられないのではなく、教える側が障害があるから仕方ないと思って、工夫と努力が足りずに、その結果できない彼らを目の前にして、社会で役立たない存在、お世話してあげなければならない存在、福祉の対象として見てしまっていると感じてしまいます。

この教育に入った時、先輩の先生から、「この教育は、のんき、根気、元気」と言われたことが、本当にその通りだと思えるようになるのに、私は50年かかりました。そして、今、声を大にして、次のことが言えるようになりました。

「工夫して、正しく繰り返す(誤学習を繰り返してはダメ)、あきらめずやり続けること」

その結果、知的障害がかなり重いと言われている愛の手帳二度、三度の人も企業で働き、社会の一員としてわれもこうのように役に立つ存在として生きていっているのです。
福祉がお世話をする仕事という概念から、一人ひとり丁寧に関われば、彼らの能力を引き出し、社会の一員として誰かのために役立つ人になる支援をする仕事という新しい常識に変わっていく日が来ることを願っています。

吉田 由紀子

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