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“われもこう”の想い その2「障がい者にとって仕事とは?」

われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい

令和2年6月18日 その2「障がい者にとって仕事とは?」

あかねの会では、15ヶ所のグループホームに84人の人たちが暮らしています。

今回のコロナ感染防止のための緊急事態宣言を受け、殆どの企業が、障がい者はリモートワークが難しいため、自宅待機を要請してきました。

グループホームの入寮者の4割の人たちが企業就労しているため、平日の見守り体制を急遽組みました。昼食の手配や散歩のコースの案内、付き添い、普段よりなかなかできない部屋の片付けなど、いろいろできて良かったです。

ところが、会社の仕事に5月中旬頃から出勤要請され始めて、日常にもどってきている人たちはいいのですが、まだ、会社から連絡がないとションボリしている人が数人います。

○○ランドのNさん、チェーン店の居酒屋のTさん、都心のレストランのKさんは、再開の目処も立たないようで、一番深刻です。遊園地や飲み屋さんは、第3ステップに入り世の中が当たり前に動き出さなければ仕方がないかなと思いながらも、彼らの気持ちを考えると、口では、大丈夫だよと言いながらも、ひょっとして次の職場も考えなければならないのかな?と心の中では深刻な事態も予測してしまいます。

障がい者自身の立場から「働くって何だろう」と考えていくと「働くこと」は「生きること」と言っても過言ではないと思います。今回、コロナ感染拡大のために休業要請を真っ先に受けたのは障がい者でした。

休業を余儀なくされ、自宅やグループホームで悶々と過ごす彼らを見て、彼らから働くということを奪ってしまうことは、生きる喜びも奪ってしまうことになると心底から感じました。働くことで、自分のしていることが、誰かの役に立っている、何かのためになっているという思いが、自分が生きていることの意味を感じさせてくれているのだと感じました。

人は誰かからか、認められなければ、自分は不必要なのではないかと感じてしまう弱い存在です。そう感じて自殺してしまう人が年間数万人を超えるというこの日本の実情を考えると、障がい者だけのことではないと言えます。誰しも、認められない、必要とされないと感じると自分の存在の意義を見失い、生きている意味さえみえなくなってしまうということです。

他者から認められなくても、自分のやるべきことを自分で分かっている人は少ないでしょう。褒められるからやる、怒られるからやらないレベルの殆どの人は、やはり認められなければ、やり甲斐を見つけられないことが多いと思われます。

その目の前のやり甲斐を奪われてしまった彼らに対して、あなたのこういう所が、誰かの役に立っていますよとささやき続けたい気持ちです。

吉田 由紀子

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