われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい
令和4年3月22日 その36「彼岸の日に」
あかねの会では、8年前にわれもこうビルの近くにお墓を建てました。
グループホームのMさんが、進行がわかりにくい膵臓がんで、診断がついてから3週間経たず、旅立たれました。
Mさんは、あかねの会の中では、年長者の方に入りますが、毎日、われもこうビルのB型に通って来ていて、日曜日には、日中一時支援のひだまりの活動のカラオケで「さざんかの宿」をいつも歌い、みんなの人気者でした。あまりにも突然の死に、お通夜の後、何人かの仲間がそのまま焼場までついて来ました。
泣きながらお骨を拾っていたSさん、Kさんの姿が今でも目に焼き付いています。
Mさんが亡くなった時のそんな彼らの様子を見て、ぜひ、身近でMさんに手を合わせる場所を作らなければと思いました。でも、練馬区内で、墓地の相場を調べてみると、80cm四方で230万円とのこと!
毎年、あかねの会の運営は、数字上、黒字になることは少なく、新規事業を起こさず、資金を貯めることと、監事さんからアドバイスを受け続けている状態でした。
お金はない、でも、彼らが身近で手を合わせる場所が欲しいと思い、皆さんにお墓建立の募金を呼びかけてみました。
私の中学校時代の教え子で、進行性の病のため、卒業後車椅子生活になり、あかねの会とは別の作業所に通っているBさんが、「少ないですけど」と、私に千円札一枚を差し出してくれたのです。彼女は日中の活動は、別団体に通っていますが、学校時代の仲間がたくさんいるひだまりの音楽クラブに入っています。
B型作業所の少ない工賃の中から、千円を出してくれたことに、私は胸が詰まりました。このお墓は絶対に造らなければという大きな決心になっていきました。他にも、会社で働いている仲間も、おこずかいの中からでしょうか?数千円を出してくれる人たち、職員の中から五万円も出してくださった人もいて、大分、資金も集まりましたが、あと30万円ほど足りず、後援会にお願いをしました。そうしたら、後援会メンバーの何人からか、「死んでしまった人たちにお金をかけるより、生きている人にお金をかけるべき」という意見が出て、後援会から簡単に補填することができにくくなりました。でも、何とか8年前にお墓が建立でき、Mさんのお骨を無事納めることができました。
われもこうの花を墓石に彫ってもらい、われもこうビルから徒歩5分で行けるので、お掃除やお花を供えに、B型の人たちが通ってくれています。
私も、このお墓に入ると言うと、「私も一緒に入る」と何人かの人たちが必ず言うので、「一緒じゃなくて、後から来てね」と何回も言うのですが、場所が一緒という意味でしょうが、「いや、一緒に入る」と駄々をこねたように言います。「一緒じゃなくて、後から入って」という意味を、私から離れてしまうことが考えられないのだな、彼らは私とずっと一緒にいたいという意味で言ってくれているんだなと、胸の奥の方でジーンと感じながら、この言葉を受け止めています。
お墓は、寿福寺の墓地にあり、この大きなクスノキの枝に覆われた場所にあります。
私も毎朝、出勤前に手を合わせに行くのですが、クスノキの向こうから朝日が差し、お墓の前で手を合わすと、自分の残された人生の時間をどう過ごしたら良いのか、自分が生きている意味などを真正面から考える時間になっています。お墓建立の時、「死んだ人にお金をかけるより、生きている人にかけてほしい」と言われた親御さんの気持ちについても、この8年間、繰り返し考え続けてきました。
今、目の前の人たちを何とかしなければならないというのは当然の考えです。否定はできません。
でも、お墓ができてから、彼らが、死んだら自分もここに入ると言う言葉を口にするようになって、今、この生きている瞬間、瞬間をしっかり生きていくということにつながってきたのではないかと幾度も感じるようになりました。
自分の将来の場所が確保されているという安心感は、今この時を充実させてくれるのだと感じることが幾度となくありました。先行きの不安を抱えて、今そのものまで、不安に駆られてしまう人がいたのですが、先のことが見えてきて、今を笑顔で過ごせるようになった人たちを見て、そう感じるようになりました。
あかねの会のメンバーは、いずれもあかねの会で知り合った仲間たちで、学校時代から知っている訳ではありません。日々の活動でも、同じ所属だった訳でもありません。でも、毎日曜日のカラオケを楽しみに交流していた仲間たちでした。最近、会社を辞めて来たSさんが、あかねの会には仲間がたくさんいていいと言っていました。
同じ物を見て笑い、同じ物を食べて語らい、笑顔の中で過ごせる大切さをSさんは感じているのだと改めて知りました。
春の彼岸の日に、改めて、「切れ目のない支援」を目指すことの大切さを、お墓に手を合わせて感じました。
吉田 由紀子