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“われもこう”の想い その37「一人暮らしへの道のり」

われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい

令和4年4月1日 その37「一人暮らしへの道のり」

A子さんは、母親の育児放棄のため、小学校に入った頃から、養護施設で育ちました。お母さんは都内に住んでいるので、連絡は取ることができる状態ではあったようですが、18歳になり、A子さんが就職したので養護施設を出なければならなくなり、お母さんと一緒に暮らしたいと連絡をしても、お母さんの方は自信がなく断られてしまいました。

そこで、A子さんは、あかねの会のグループホームに入ってきました。今から20年も前のことです。特別支援学校の高等部を卒業後、4人の仲間と世話人さんと暮らし、就職したレストランで一生懸命働きました。店長が変わるたびに接し方も変わり、苦労はしたようです。11年前の東日本震災の時も、お店に取り残され、電車も止まっていて、グループホームの職員が迎えに辿り着いたのが、夜中の12時。そこからグループホームに着いたのが夜中の3時でした。そんなこともありましたが、彼女は、頑張って仕事を続けていました。

その後、店舗移動により江戸川区の方までがんばって通勤していましたが、やはり、もう少し近くで働きたいという希望があり、一旦退職をして、あかねの会の就労移行支援に入りました。それに伴い、グループホームの生活を10数年続けてきたので、一人暮らしをしてみたいという希望が出てきました。彼女の前にも数人の利用者が、グループホームから一人暮らしのサテライト(※)に移行しており、法人としてノウハウも蓄積できていたので、サテライトのシステムを使い、アパートでの一人暮らしを始めました。また、前から希望していた老人介護の仕事に向けて実習を重ね、希望通りの高齢者施設に就職もできました。

最初は、調理もできず、一緒に作ったり、食材の保管方法を教えて確認したりしなければなりませんでした。実習先のはつらつセンターで買ったカブをどうしていいかわからず、放ったらかしで、腐りかけていたことがありました。たまたま、訪問した私が調理して食べてもらいましたが、食材の扱い方も未経験のことが多く、一つ一つ教えていかなければなりませんでした。

今は、自分で冷蔵庫の中も、こんな状態で保つことができています。調理のレパートリーも少しずつ増えてきました。

お弁当を作ったり、カレーライスや、「焼きそばと塩こんぶがあったのでアレンジしてみました。少しバターを入れてみたら美味しかったので送りますね」と、焼きそばの写真を送ってくれました。

サテライトは、制度的に3年間しか支援できません。この4月に、丁度満3年を迎えることになり、この先の支援をどうするか?訪問支援に切り替えるか?支援側でもいろいろ検討していましたが、社会福祉協議会の支援は、本人が知らない人に託することに抵抗があるとのことでした。「一人でやってみたい」という意思を尊重して、様子をみていくという方向で考えています。でも、いつでも困った時には、相談できる関係性を築いておくことの大切さを本人にも伝え、日中一時支援の社会学習への参加は続けていくことを本人も納得して申し込みました。

今後も彼女の成長を見守り続けたいと思います。

吉田 由紀子

※「サテライト」=サテライト型住居
本体住居となるグループホームの近くに、一人暮らしできる住居(アパートなど)を用意して、一人暮らしの準備をする制度。本体住居となる近くのグループホームで、食事などをとることも可能で、日常生活上のサポートを職員から受けることができます。期限は3年間です。

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