われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい
令和3年9月30日 その26「障害者を納税者に」
あかねの会では、障がいのある人たちも、自分の得意なことで努力して仕事につき、社会の一員として納税できる人に育って欲しいと支援を続けています。「障害者を納税者に」を理念として掲げてきました。発達支援部からも18歳で就職していく人、18歳以上でA型やB型から就職していく人たちを応援し続けています。また、あかねの会を設立して25年経つ今は、50歳位になって、企業から退職しなければならなくなった人たちの余生の支援にも、今重点を移さざる得ない状況にもなっています。
企業で働けなくなった人たちも、地域での生活を通して納税をして生きていくことを支えています。
でも、高齢になってくると、税金のお陰を蒙ることの方が増えてはきますが。
「障がい者を納税者に」という理念は、企業の人たちには、歓迎されることが多いのですが、福祉関係の人たちには、あまり歓迎されません。特に重度の障害者を抱える親御さんや施設からは、何を言っているのか?抵抗があるとまで言われたこともあります。
その度に、私なりにいろいろ考えさせられる機会を頂いたと思い、掘り下げて考えてきました。
この社会は、いろいろな人が集まって形成されており、皆んなが幸せに生きるために、少しずつお金を出し合って生きています。
火事の時には消防車が駆け付けられるように消防署を設置し、皆んなに迷惑をかける人がいたら、警察という組織で守っていくというように、皆んなから集めた税金でみんなの幸せを実現しようとしています。
高齢者や子供、障害者はどちらかと言うと守られる側で、元気な人たちが働いて弱者を守るということが今までの常識でしょうか?
でも、50数年前、日本で初めてパラリンピックが行われた時、外国の選手が殆ど企業で働いているのに対し、日本の障害者は病院や施設に入所しているという事実に驚き、障がい者の企業就労が日本でも始められたと聞いています。私が特別支援学級の教員になった50年前は、特例子会社が全国でも数社しかなく、その実態を知りたいと思って、仙台まで出かけたことを思い出します。
国の法律でも、企業の障害者雇用率が年々引き上げられ、令和3年には、2.3%になりました。
2%を超えた頃から、特別支援学校から、働けそうな人たちは企業に就職できるようになり、就労移行支援事業という就労に向けての支援事業に高等部から、入ってくる人たちが激減しました。
そんな時代の変化もあり、都市部では、障がいのある人たちも企業で働くことは珍しいことではなくなってきました。障がいの重いコミュニケーションの難しい愛の手帳2度の人たちも企業で働いています。
とはいえ、企業で就労ができるようになるには、それなりの努力が必要です。
指示されたことを理解して、指示通りに作業をする力、すぐ飽きてしまわないで半日程度は作業を続ける力があること、急な変更に対してもある程度対応できること、遅刻、欠勤せず毎日元気に出勤できることなど、知的に障がいがあっても、こんな力が育っていないと企業就労は難しいです。
あかねの会では、発達支援部、18歳以降の就労支援部でも、以上のような力を育てようと取り組んでいます。
昨日、高等部に行ってからは、部活に忙しく、殆ど発達の支援室に来ることがなくなったK君のお母さんが、突然見え、「Kの就職が決まりました。」と知らせに来て下さいました。
大手コンビニエンスストアの内定をもらったとのことでした。
「来年、働けるようになったら、納税者になれます。初月給をもらったら、いくら税金を納めたか知らせに来ますね」とお母さんは言われながら、自然に涙が溢れてきていました。私もつられて、胸がキュンとなりながら、本当に良かったなと、K君が小学生の頃の姿を思い出していました。
障がいのある我が子を持った親にとって、子どもが将来どうやって生きていけるのか?一番大きい関心事です。就労が決まったということだけでも一安心だと思いますが、K君のお母さんが、「納税者になれた」と喜んでいる姿を見て、将来、何とか生きていけるというだけでなく、この社会の一員として社会を支える人に育ったのだと実感しました。
自分のことだけでなく、周りにいる人たちのためにも働ける人になった!この社会を支えていく仕事をして、われもこうのように、誰かのために、何かの役に立つことをして、生き甲斐を持った人生を歩んでいくのだと思うと、本当に嬉しいです。
あかねの会を作ってここまでやってきて本当に良かったと感じた瞬間でした。
でも、このあかねの会の活動は、私がいなくなっても、続けていかなければなりません。そのためには、組織をしっかりと作り、一人ひとりの職員の意識を高め、「障がい者も社会の一員として働き、誰かのために何かの役に立つ人に育つ」ような活動を続けていけるようにしなければと、改めてK君のお母さんの涙を見て思いました。
吉田 由紀子