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“われもこう”の想い その96「南さんのお骨をお墓に納骨」

われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい

令和6年9月9日 その96「南さんのお骨をお墓に納骨」

5月の末に亡くなられたみのりの南雅子さんの分骨を、あかねの会のお墓に7月23日に納骨しました。
お墓が狭いので、希望者全員を納骨にお呼びすることができず、グループホームで長く一緒に暮らしていた人や、最後のみのりで一緒に過ごした人たちに、代表で立ち会って頂きました。

丁度10年前に、第四みずき寮の真鍋さんが納骨され、その2年後に、あかねっこ弁当の職員の遠山さん、そして今年、南さんが納骨されました。

墓前で手を合わせると共に生きていた頃のことを思い出されるーお墓は、そんな大事な場所であると、改めて感じさせてくれました。

ですから、われもこうビルから、数分で歩いて来れる所にお墓があることの大切さを、今回もしみじみと感じました。

都内だと高いから、秩父など遠い所にお墓を建てるということも考えましたが、やはり、日々、ちょっと立ち寄れる場所で静かに手を合わせる場所があるということの大切さをしみじみと今回も感じました。

仕事の行き帰りに自主的にお墓に立ち寄ってくれるグループホームの人もいますし、就労支援室が散歩のついでに立ち寄ることも多いようです。

共に生きた証し、残された人間にとって故人との思い出を静かに思い出す場所として、お墓の大切さを改めて、今回感じました。

又、死んだ後、仲の良かった人や、関わりの深かった人と共に、同じお墓に入れるという安心感もあるのだなと、彼らの言葉の端々に感じました。

死んだらどうなるか?

誰にもわからない、答えられないことですが、同じお墓に入るという一つの事実に、安心して今を生きることができるのだということにも、気がつきました。

小さなお墓なので、何人くらい入れるのか心配して、石屋さんに聞いたら、分骨なら20〜30人くらいは、入れるとのこと、その後、容器から出して、土に戻していけば、もう少し入りますよと言われ、安心しました。

お墓は、あかねの会が目指す「切れ目のない支援」の終着点です。

日々、手を合わせて訪れる場にし続けたいです。

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