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“われもこう”の想い その103「グループホームで共に暮らす喜び③~親亡き後の生活を支える~」

われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい

令和6年12月19日 その103「グループホームで共に暮らす喜び③~親亡き後の生活を支える~」

彼らが日々の関わりの中で変化を見せていってくれる毎日で、とてもやり甲斐のある日々を送っていますが、更にそれに加えて、何より嬉しかったことは、食事の時にテレビのニュースで、ガザの子供達が爆弾を受けてケガをして治療を受けている姿を見て、あの子達を助ける薬や治療のお金を「国境なき医師団」に送ろうという提案に、意欲的に協力してくれたことです。

毎晩、小遣い帳の計算をする時に、自分の小遣いの百円以下のお金を「あの子たちの治療に使ってほしい」と寄付を申し出てくれるようになったのです。就労支援室に通うB子さんは、自分の1ヶ月の工賃は、一万円もなく、毎月の年金は、ほぼグループホームの家賃と食費で消えてしまっている筈ですが、親御さんが、お金の管理をしているので、本人はよくわかっていません。まだ、親御さんが健在なので、毎週、家に帰って多少の小遣いをもらい、飲み物を時々買うくらいです。そんな中から、こずかい帳をつける度に、「少しでも、彼らの怪我が治りますように」と寄付を申し出てくれたのです。

4人で約数ヶ月で、小一万円が貯まった時に、「これでは足りないから、先生がお金を足して寄付してください」と私に言うようにもなりました。

障害年金をもらいながら、慎ましく暮らしている彼らが、こんな思いで、毎日、少しずつ自分も何かの役に立ちたいと願っていることに感動しました。できることも少ない彼らだけど、自分のできることで、人が助け合って生きていくには、何をどうしたら良いか?を私に教えてくれました。

親亡き後に備えて、グループホームの生活に移行していこうという親心からの今の彼らの生活ですが、少しずつ親離れはしてきているものの、まだまだ、具体的な将来の生活を考えると、社会全体の福祉的制度の不十分さや、具体策については不安がいっぱいあります。地域全体が、障がいのある無しに関わらず、助け合い、支え合う形に出来上がっているとは言い難い状況です。

確かに、私がこの仕事に関わり始めた頃に比べ、障がい者雇用率も上がり、一般の会社で雇用されている人も増えてきています。グループホームも平成13年に社会福祉法人以外の組織でも認可される様になり、都でも、かなりの数のグループホームが作られてきました。

でも、その結果、株式会社が運営するグループホームも増え、食事の削減や本当に彼らの生活を豊かにするために運営をしているのだろうか?と思われるようなグループホームのことも報道されるようになり、グループホームの課題は大きいと感じています。

そして、生活面では、まだまだ、家族の支えがあって成り立っている人が多く、あかねの会では、15ケ寮80名の内、全く家族がいなくて、お正月にも帰る家のない人が約30名います。普段の土曜日、日曜日、祝日の過ごし方も見守りが必要ですが、お正月も寂しく過ごしてほしくないので、グループを始めた年から、お正月旅行を行なっており、とても彼らも楽しみにしてくれています。

今の制度の中でできるだけのことをしていこうとあれこれ工夫してやっているつもりですが、親亡き後を心配される親御さんの気持ちを察すると、福祉の制度だけでなく、もう少し、地域で支え合う組織が作れないものかと思い始めています。

どんな人でも、地域の一員として支え合う、支えてもらう存在として、生きていくことはできないものでしょうか?

江戸時代の五人組や、最近のマンションの住民組合、町会なども参考にしながら、生まれ育ったこの地域で当たり前に生活をしていける仕組みを考えていけたらと願っています。

彼らが、助け合って生きていける場〜住む場所を作ることが、今の私に残された最後の大きな仕事であると思い始めています。

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