われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい
令和7年3月3日 その108「共に暮らした鈴木正志さんが、先日、亡くなられてしまいました」
お正月旅行の写真にも、満面の笑みでいっぱい写っている鈴木さんが、先日急に亡くなられてしまいました。
元々、もやもや病が発見されていたので、通院もして気をつけてはいたのですが、とても元気で、笑顔の多い鈴木さんが、どうして?と言うくらい、本当に急死されてしまいました。63才でした。
亡くなられる三日前には、毎月の講話で、私がいつもの様に、2月の祭日の説明をしていると、令和の天皇誕生日だけではなく、平成、昭和の天皇誕生日を聞くと、積極的に手を挙げて、全部答えてくれました。亡くなられた前日も、大泉B型の利用者の方たちと作業や、ボッチヤを楽しんでいたとのことです。
寮に帰って、夕ご飯の手伝いをしに台所に来て立っていたのが、急にふらついて、意識が遠のいたということで、救急車を呼んだそうです。病院へ搬送されましたが、脳の広い範囲で出血していて、翌日の昼頃、息を引き取られたそうです。
あまりにも急で、周りにいた寮生も驚いたと思いますが、つい、数日前まで、あんなに元気な笑顔の鈴木さんに会っていた私も信じられない気持ちでいっぱいです。
1週間後、土曜日にも関わらず、同じ寮の寮生や、大泉Bで共に働いた仲間たち、支援員さん、世話人さんも、少し練馬からは離れた代々幡斎場でしたが、20人ほど集まってくれました。
静かに眠る鈴木さんの顔を見た途端、涙が止まりませんでした。
どうして、どうして、みんなとあんな笑顔で、旅行でも楽しそうにしていたのに、頑張って手を挙げて、いろいろ答えてくれたり、率先して、人のために動いてくれていたSさんが、目を瞑り、静かに横たわっているだけなのです。
鈴木さんと過ごしたあの時は、もう戻ってこないのだという辛い気持ちが、あんなにも大切な時間を共に過ごしたのだと気がつかせてくれました。
「二度とない人生」だったのだと、本気で感じました。
お兄様から、お墓が岩手県で遠いので、あかねの会のお墓に入れてほしいというお話を頂き、みんなが近くでいつでも、手を合わせにいけると思い、嬉しくなりました。
早速、B型で、その前に、寿福寺にあるお掃除をきれいにして、お花まで新しくしてくれました。
お墓に入る前、とりあえず、われもこうビルの6階に、みんなが会いに来られるようにと安置させて頂きました。
われもこうのお墓には、鈴木さんが4人目になります。
共に過ごした仲間たちが、折に触れ、こんな近くですぐに手を合わせられる場所に埋葬できることは、本当に良かったと思います。
最初にお墓を作ろうと話しを出した時に、「死んでしまった人にお金を使うのではなく、生きている者にお金を使ってほしい」と言う意見も、親御さんから頂き、悩みましたが、今回、別の親御さんから、本当にお墓を作っておいて良かったですねと言って頂けました。
共に過ごした人たちを思い出し、手を合わせる場、祈る場があるのは、今、生きている人たちにとって必要なのだと強く感じました。