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“われもこう”の想い その57「コロナ禍3年目のグループホーム正月旅行」

われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい

令和5年1月17日 その57「コロナ禍3年目のグループホーム正月旅行」

グループホームの寮生は、年々ご両親や親戚縁者の方も高齢化し、お正月でさえ帰る所がない人が増えています。
それに加えてこのコロナ禍で、万が一感染者が出た場合を想定して、都内から迎えにすぐ来られる場所にしなければならず、でも年に一回の楽しみにしている旅行なので、彼らが楽しく過ごせる場所と思い、探して来ました。
一昨年は都内のホテル、去年は狭山市、今年は三浦市と少しずつ遠い所にしましたが、いずれにしても、発熱者が出た場合に、すぐ迎えに来られる所です。
またホテルより一軒の旅館を借り上げた方が、彼らにとっては過ごしやすいということから、今年も海辺の近くの『一郎丸』という宿を貸し切りにできました。

令和4年12月31日
8:15 われもこうビル集合
9:30 出発
羽田空港見学
殆どは顔見知りですが、初めて旅行に参加した人もいたので、羽田空港に着くまでの間に自己紹介をしました。寮と名前だけではなく、今年良かったことなど話してもらったら、予測以上に空港見学を楽しみにしている人が多いことに気付かされました。

大空に飛び立つ飛行機を眺めるのは、自分も飛び立つ気になるのでしょうか?
その後、横浜中華街で中華料理を頂きました。円卓を回しながら自分の食べたい物を取る経験も、ほとんどの人が初めてのようで、取っている人がいるのに自分が取りたくなって、円卓を回してしまう人がいるので、回されない様に支援員が押さえてあげたり、平等に取り分けてあげたりもしなければなりませんでした。

でも、豪華なお料理に満足したのか、トイレで一緒になったOさんが、「ほらほら、先生「笑顔の輪」(心の鐘コンサートのために作詞作曲した歌)の歌とおんなじ〜おなかもいっぱい🎵キラキラえがお」と歌い出したのです。笑顔いっぱいの顔で‥。日常的な気持ちをこうやって口ずさめる歌がたくさん彼らの心の中にあると、笑顔がもっと増えるだろうなと思いました。
その後、三浦半島にある『海辺の湯』温泉に入ってから『一郎丸』へ。大広間で、全員揃っての夕食。早速、彼らは配膳など率先して動いてくれました。
この日は、恒例の紅白歌合戦を大広間のテレビで見ました。その側でこれも毎年恒例になっている爪切りをやりました。毎年、切ってあげているうちに、自分で上手に切れるようになってきている人、旅行を意識して、世話人さんや支援員さんに、旅行前に切ってもらっている人も増えてきました。

令和5年1月1日
初日の出を見たい人は、朝6時半に宿舎前に集合し、目の前の浜に行きました。少し水平線に雲がかかっていたので、房総半島からというより、そこにかかった雲から初日の出が見ることができました。6時50分でした。
朝食後、城ヶ崎公園へ。
残念ながら、車椅子では途中までしか行けず、足の悪いOさんと車椅子のMさんは、入り口付近で海を眺めて待ってもらいました。

目の前に、大きい富士山がバッチリ見えます。われもこうビルから、富士山を見慣れているみんなも、その大きさの違いにビックリ‼️です。

長年の波の力で、岩も変形してこんな形に!
波と波の向こうに見える房総半島、富士山。たっぷりこのような景色を楽しみました。
海の幸の昼食の後、海南神社にお参りと思ったら、長蛇の列で、ご本殿にたどり着きそうもないので、諦めて油壺温泉に向かいました。
ここでも、海を見ながら露天風呂にゆっくり入ることができました。
宿泊に着いたのが、4時半過ぎ。夕焼けが見たい人を募って、夕陽を見に行くことにしました。かなりの急坂を登り、あと数分で沈んでしまう夕陽を見ようと頑張って歩きました。

 夕焼けに浮かぶ大島

初日の出も見て、その上夕陽も見ることができて大満足の一日でした。
夕食後、昨日爪切りができなかった人たちの爪を切りました。

1月2日
朝食後、小網代の森へ。
小網代の森は、三浦半島の最先端にある70ヘクタールの関東唯一の自然環境と言われています。
ここでも2箇所ある駐車場に寄ってもらいましたが、両方とも、車椅子では登り降りできないほどの坂道でした。

森の中は自然に溢れ、歩いていてとても気持ち良い所でした。数珠玉やガマの穂を見つけていたCさんが、小学校の時にこの数珠玉を使ってのれんを作った、と懐かしそうに話してくれました。

紙のれん作りを通して「働ける人」に育った彼らの仕事と生活を、今後もしっかり守って行かなければと感じました。
小網代の森を出た所に白髭神社がありました。

この石は、叩くとカンカンと音がするところから「カンカン石」と呼ばれているそうです。これは、船の錨に使う石で、カンカンと鳴るので珍しいことから、明神様が欲しいと言われ、この神社に納められたそうです。 他の石と鳴らして比べてみて、音の違いに彼らも気がつきました。

調べたら、サヌカイトという石で、日本でも旧石器時代に石器として使われていた黒曜石と共に使われていた讃岐石(奈良県と大阪府の境にある二上山にある)だそうです。
その後、一日目と同じ『海辺の湯』に行きました。
露天風呂の中で、とても楽しそうに会話したり、歌ったりして入りました。仲間たちとこんな時間が持てることが、これから辛いことがあっても、乗り越えていく力になるのだろうと思えました。
宿舎に戻るといつものように、彼らは食事の配膳や下膳を手伝ってくれました。
明日は渋滞が予想されるので、早めに出た方が良いと運転手さんから言われ、時間のかかりそうな人の荷物の整理に夕食前に取りかかりました。

1月3日
朝から少しでも早く出発できる様にと、布団の片付けやら、朝食の配膳など、動ける人たちは一生懸命動いてくれました。
でも、旅行参加の回数が少ない人や、初めて参加した人は、自分のことが精一杯で、なかなか全体の仕事を手伝うことができません。
でも毎年見ていると少しずつですが、自分のできることを手伝うようになってきました。
朝食後、新江ノ島水族館に行きました。

ペンギンとの出会い

ペンギンやイルカショーを楽しみ、
あわたんシチューを食べ、一路東京へ向けて帰りました。

予測以上に道路は空いており、3時前には、われもこうビルに到着しました。
発熱者もなく、無事今年もお正月旅行終了と思いきや、翌日から正月旅行参加者の発熱者が続き、コロナ陽性者が増え、私自身5日に発熱、コロナ陽性となり、30人中14人もコロナ陽性になってしまいました。
私も症状が重く、やっと1月16日から通常勤務となり、この記録を前日に打つことができました。

毎年、帰る家がない人たちにとって、楽しいお正月にしたいと思って実施して来た旅行。21年目にしてコロナ禍で、今後の実施の仕方について本当に考えなければならないと実感しました。
また、50歳を超えたダウン症の人たちの移動能力が落ち、車椅子を使わなければならない状況の人もいることを考え合わせ、今後のグループホームで過ごしていく人たちの24時間、365日の過ごし方について、本気で考えていかなければならないと大きな課題を抱えるお正月になりました。

吉田 由紀子

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