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“われもこう”の想い その66「オリアム随筆賞」

われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい

令和5年5月30日 その66「オリアム随筆賞」

大阪府の泉大津市が、令和4年に市制80周年を迎えたそうです。
市制施行70周年記念事業の一環として創設された「オリアム随筆賞」は、今年で11年目を迎え、これまでに四千百編を超える作品が寄せられたそうです。そこで、市制施行80周年を記念して、オリアム随筆賞の作品集を発刊し、第2回目で佳作を受賞した私にも、先日送られてきました。

泉大津市オリアム随筆賞作品集

泉大津市長 南出賢一様 ごあいさつ(一部抜粋)
「届けられました作品に描かれた繊維製品は、人々の思いやりや優しさを育み、あたたかく寄り添ってくれるものであり、私たちの生活には欠かせないものであると、改めて気づかされます。
この度、市制施行80周年を記念し発刊した作品集を通じて、これまで寄せられた作品のあたたかな思いが一つとなり、読者の心にぬくもりと豊かさをもたらし、また市民の皆様の『繊維のまち・泉大津市』に対する愛着と誇りが育まれることを切に願っております。」

第2回「泉大津市オリアム随筆賞」 佳作

「さをり織り」   東京都練馬区 吉田由紀子

午後の日差しが差し込む部屋で、知的障害のF子が一心にさをり織り機に向かっている。
縦糸を足で切り替える微かなキーコという音と横糸をしっかり押さえるトントンという音が静かな室内に響く。
F子は、私の中学校の教え子である。中学校入学時には場面絨黙で慣れている家庭内では普通に話せるのに学校では緊張して全く口をきくことができなかった。でも根気よく付き合っているうちに段々慣れて気を許すようになり笑顔が増え言葉でのやり取りができるようになった。運動会で皆の前でも代表で挨拶もできるようになり、卒業していった。
しかし、中学校卒業後、養護学校の高等部を経て作業所に通うようになってまた、外ではロをきかなくなってしまったとお母さんから伺った。
そして、ちょっとした失敗で作業所にも行けなくなり、ここ数年は家でさをり織りの機械を買って家でさをり織りをして過ごしていたとのことであった。
私が学校を退職後作業所を立ち上げ、そこでさをり織りを始めたことを聞きつけ、親子で見学に来た。そして、是非通わせてほしいということで、その翌日からF子はニコニコとやって来た。まだ周りの利用者と馴染みがないためか、言葉は発しないが、毎日黙々と織り機に向い、一段ずつ丁寧に織りあげていく。
さをり織りは、本人の感性で好きな色を選び織りあげていくので、F子の作品は、柔らかい明るい作品に仕上がっていく。縦糸のうち込みもやさしいので、ふわっと柔らかい作品に仕上がる。筬通し、綜絖通しもF子はできるようになり、最近では整経(縦糸作り)もできるようになり、縦糸も好みの色と風合いの糸を選び織れるようになってきた。F子は、まだ自分からは殆ど喋らない。でも、さをり織りの温もりのある色合いは、F子の気持ちを表している。
こちらの言うことにはうなずいたりして自分の意思を表してくれるようになった。笑顔も増えてきた。他の利用者の話を聞いてクスクス笑っている場面も見られるようになった。さをり織りを通して自信がつき、心を開いて言葉を交わしてくれる日が必ず来るだろうと信じている。
お母さんも六十代後半になり、ご自分の老後のこと、親亡き後のF子のことなどなど、悩みが大きかったようである。八年も家に閉じ籠っていたF子が毎日作業所に通えるようになったことに、ほっとし、本当に救われたと語って下さった。まさに、さをり織りのお陰でF子と社会の糸が繋がったのだと感じている。
F子の織りあげたさをり織りのマフラーを首に巻いてみて、その温もりを感じながら、織物の持つ魅力と人を変えていく力の大きさに改めて気付かされた。
太古の昔から、人は布を織る技術を持ち、それに穴をあけ、貫頭衣として身にまとってきた。織り方の基本的原理は縄文時代から殆ど変わっていない。縄文時代の人々が織物の技術を開発し、その営みをつなげ、紡繊や染色技術は発展し、多様化し、機械化してきた。しかし、自らの手で紡ぎ、織りあげていくことにより、自分で作り上げたという達成感は、遠い祖先から伝えられた一番大切なものであると思う。
自ら織りあげていく喜びや感動がF子の生きる力を培っているとさえ感じる。一人でも多くの人にこの喜びと体験を伝えていきたい。今は先が見えなくても、いずれはF子のように変わることができると信じて歩き始める人が一人でも増えてほしいと願っている。そのために、F子の作品をより多くの人々に知ってもらい、この喜びを共感してもらいたい。更に、この技術と共に、作り上げる喜びを次世代に伝えていくことが、今の私たちの役割かもしれないと思い始めている。

吉田由紀子

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