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“われもこう”の想い その50「4年ぶりの光が丘地区祭」

われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい

令和4年10月14日 その50「4年ぶりの光が丘地区祭」

台風やコロナ禍のために4年ぶりとなった光が丘地区祭が、10月8日、9日と行われました。

あかねの会にとっては、光が丘はまさに地元の馴染みの深い地区です。あかねの会ができる前の、光が丘第三中学校の特別支援学級が昭和63年に開校した時からお誘いを受け、舞台で合唱の発表をさせて頂きました。あかねの会ができると、その発表はあかねの会の音楽クラブが続けて出演させて頂いています。

まだコロナに対しては心配がありますが、8日の人出はビックリするほどでした。地域の人たちが、本当に楽しみにしていたのだと実感しました。

あかねの会も、利用者の人達の作品を買って頂こうとお店を出しました。また、就労支援室の利用者の方達も、販売の手伝いをしたいと、積極的に参加してくれました。8日には、われもこうビルのB型の支援員と利用者の二人、9日は、大泉就労支援室の利用者が午前、午後交代で4人も来てくれました。
そして、知っている仲間が作った作品が売れると自分のことの様に嬉しそうな笑顔を見せてくれました。

大泉就労支援室に入ったばかりの利用者が作ったアームバンドが、あと3個で売り切れと言われて、舞台で歌い終わって通りかかったあかねの会のメンバーが購入し、完売しました。
そのアームバンドを作った利用者は、発達支援室あかねっこ大泉教室に小学生の頃から通っていて、卒業後はしばらく他施設にいました。先月、大泉就労支援室に入ったばかりで、まだいろいろな作業ができず、とりあえずビーズの作業に取り組んでいたと聞いていたので、私もとっても嬉しかったです。小学生の頃の姿をはっきり覚えているので、感慨深いものがあります。
一人ひとりの成長を身近で感じられる幸せは、この仕事の醍醐味であると、最近、特に感じています。

9日は、音楽クラブの発表でした。区民センターの三階のホールで行われましたが、以前のように、40名全員が舞台に乗ると密になってしまうので、今回は仕方なく10名に絞って参加せざるを得ませんでした。声量も心配でしたし、出られない人たちの思いも考えると、早く以前のような状態に戻ってほしいと本当に祈るような気持ちになりました。

スピーチクラブにも所属しているTさんが、曲の紹介もしました。
「われもこうは、秋にひっそりと咲きますが、誰かのために、何かの役に立ちたいと願っています。私たちも、誰かのために、何かの役に立ちたいと思って仕事をしています。」

Tさんは、新宿の飲食店に再就職して5年目になります。最初のうちは、会社訪問すると、課題がいろいろあったようですが、最近、会社訪問した支援員から、よく気がついて動いていると褒められたと聞いていたので、Tさんの言葉が、ジーンと心に沁みました。本当に、あなたは、誰かのために、何かの役に立とうとして、一生懸命働いている、自信を持っていいよと心の中で思わずつぶやきました。

舞台発表の後、あかねの会のお店をまたのぞきに行きました。利用者が一生懸命に「いらっしゃいませ!見て行ってください。」と大きな声を出してがんばっている姿に感動しました。

その後、何人かと一緒にカフェレストラン光が丘店に行き、昼食を食べました。500円のコロナに勝つ丼や、三食丼を食べることができ、大満足の顔でした。

 


三食丼


コロナに勝つ丼

カフェレストランで働く仲間たちも、あかねの会のメンバーが食べに来てくれたことが嬉しくて、ニコニコと笑顔で接客してくれました。彼らの笑顔に囲まれて私が一番幸せかな?と思える時間でした。

住み慣れた地域でずっと彼らが暮らしていける様に、切れ目のない支援を目指して、まだまだやらなければならないことが山ほどあり、実現するにはどうしたら良いのか?課題は大きいですが、まず、地元に溶け込んでこんな活動を地道に続けていくことの大切さを、地区祭に参加して、ひしひしと感じました。

吉田 由紀子

 

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