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“われもこう”の想い その18「親亡き後は、突然やってくる」

われもこうの花は小さい
だから誰も振り向かない
誰も気がつかない
でも、われもこうは
誰かのために 何かをしたいと
ずっと願ってる
私も、障がいのある彼らも
ただの人間
天使でも悪魔でもない
ただの人間
目立たない花だけど
力一杯咲き切りたい

令和3年3月19日 その18「親亡き後は、突然やってくる」

目黒就労支援室の24歳のYさんのお母さんが、2月の中旬、突然亡くなられてしまいました。

Yさんが、寄り道をして大幅に遅れて支援室に来た日、本人はお母さんに怒られるからと帰りたがらず、説得して帰したものの、深夜まで行方不明になってしまい、夜中の1時過ぎに見つかり交番で保護され帰宅できました。お母さんには、帰ってきた時に怒らず、無事で良かったと伝えてほしいと電話で話していたのですが、私にそう言われたので、怒らなかったけど、本人は何も言えず黙っていたと聞きました。私から、お母さんの真意を理解できず、怒られるから帰らないのでは幼すぎるので、ショートステイで、親元から離れる体験を持ち、お母さんの真意を理解できるようにお手伝いをしたいと申し出ました。お母さんは、お父さん、本人とも相談して、ショートを利用することを決め、1週間後に契約のお約束もしました。ところが、その契約の前日、お母さんが出勤途上で倒れ、救急で病院に運ばれた時には、絶命されていたという突然の訃報に、ただビックリするばかりでした。くも膜下出血ということでした。

Yさんが、この前のことをお母さんに謝れたのだろうか?お母さんがお元気なうちに、Yさんは、お母さんの本当の気持ちを理解したのだろうか?間に合わなかったのでは?というのが、唯一の心がかりでした。

告別式など落ち着かれてから、お父さんと話したところ、家で見きれないということでしたので、急遽グループホームを空けて、入寮してもらうことができました。本当なら、空き室はなく、入寮することが決まっていた方に、事情を話して待って頂き、ショートを転々とすることもなく入寮できました。しかし、実際に入寮してみたら、食事中、ドレッシングもかけてもらうのを待っている、入浴も、洗うことも自分からはせず、お湯に浸かっているだけ。食器も適切に洗えずなどなど、非常にお母さんを頼った生活をしていたのかなという状態でした。

お父さんにショートやガイドヘルパーの受給者証をお持ち頂くようお願いしましたが、すっかりお母さんに任せていらしたということで、見つからず、福祉事務所に再発行をお願いしたり、年金も手続きしてあるのかどうかもわからないという状況でした。

いつ、「親亡き後」はやってくるかわかりません。

是非、家族全員で、障がいのある子供がどんな福祉サービスを受けているのか?手続きの流れ、どこに相談すれば良いのか?家族で共有してほしいと切実に感じました。

障がいのある子供のことについて、共有していないご家族が、どのくらいいらっしゃるのか掴めませんが、こんな身近な例を聞いて、ぜひ今日からでも、共有を実行して頂きたいと思います。周りの支援側も困りますが、障がいのある子ども自身が混乱し、困った状況に陥らないようにするために、親亡き後のことをしっかり考えてほしいです。

しかし、個別支援計画の面談で、お父さんが85歳、お母さんも80歳でも、まだ、自分たちでみていけると思っているご両親の何と多いことか!
一般社団法人日本相続知財センターグループが、発行している「親心の記録」という冊子があります。

何を書いて残しておけば良いか?が具体的に書かれていて、すぐに役に立ちます。
いろいろな会社、団体様の寄付で作られた貴重な冊子です。

親心の記録は、下記サイトから貰うことが出来ます。
日本相続知財センター

今回のこんな身近な例を聞いて、是非、「明日は我が身」と感じて、具体的に準備したり、共有したりしていけるように、お互いに声をかけあえるようになるといいなと思います。

吉田 由紀子

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